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最高裁判所第三小法廷 昭和29年(オ)875号 判決 1956年9月18日

上告人 佐藤達夫

被上告人 牧野道助

外四名

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人和田正平の上告理由第一、二点について。

旧民法施行当時において、遺言を以て家督相続人の指定がなされた場合に、遺言者の死亡により、その遺言が効力を生じたときは、被指定者は遺言者の家督相続をなして戸主となるとともに、遺言者が有した権利義務を包括的に承継したが、この権利義務の承継は、被指定者が家督相続をした効果であつて、家督相続人指定の遺言の直接の効果として生じたのではない。家督相続人の指定そのものには、財産を承継せしめる旨の意思表示を包含してはいないのである。ところで、民法の改正により、家督相続が廃止せられたので、新法施行後に遺言者が死亡したときは、家督相続人指定の遺言は、特段の事情のない限り、その効力を生ずる余地なく、従つて家督相続の効果たる遺言者の権利義務の承継もまた生じないこととなつたといわなければならない。

以上の如く新法施行後に遺言者が死亡した場合には、家督相続人指定の遺言は原則として無効となるが、これを包括的遺贈に転換して有効と認めることができるかどうかを次に考察しなければならない。思うに、家督相続人指定の遺言と包括遺贈とは全く別個の観念であり、前者に後者の意思表示が包含せられているとは云えないのであるから、前者を後者として有効とするがためには、遺言書の解釈により、遺言に表示せられたところを通じて後者の意思表示が看取される場合でなければならない。本件において、原審の確定したところを、原判文に徴すれば、亡猛雄は、昭和一五年七月二六日公正証書による遺言をなしたが、右遺言書には、訴外牧野エイを家督相続人に指定する旨及び被上告人等その他に対し財産の一部を遺贈する旨の記載があるけれども、他に猛雄に包括遺贈の意思があつたことを看取するに足る表示行為と目すべき事実上の記載がないというのであるから、原審が包括遺贈の表示があつたとは認められないと判断したことは正当である。なお、原審は、亡猛雄は昭和一六年一〇月二八日右遺言事項中被上告人その他に対する遺贈に関する部分を取り消す旨の遺言をなした事実を確定したが、この事実と前示遺言書の記載とによれば、猛雄がエイに財産を遺贈する意思があつたことを窺いうるようであるが、このことから要式行為である遺言の効力を判定することはできない。又本件遺言につき、家庭裁判所によつて遺言執行者が選任せられたことから、直ちに、右遺言には、財産を承継せしめる意思表示が包含せられていると言いえないことは当然である。原判決の説くところは、上記の趣旨と異るものがあるが、本件遺言書には、牧野のエイをして財産を承継せしめる意思が表示せられていなとする結論においては、正当なるに帰するから所論は結局採用し難い。

同第三点について。

遺言につき遺言執行者がある場合には、遺言に関係ある財産については相続人は処分の権能を失い(民法一〇一三条)、独り遺言執行者のみが遺言に必要な一切の行為をする権利義務を有するのであつて(同一〇一二条)、遺言執行者はその資格において自己の名を以て他人のため訴訟の当事者となりうるものと云わなければならない。本件において、被上告人等は本件不動産は亡猛雄の所有であつたが、その死亡により共有持分権を有するに至つたと主張し、遺言執行者たる上告人にその確認を求めるものであるところ、上告人は右不動産は遺言によりすべて訴外牧野エイの所有に帰したと主張して被上告人の権利を争うものである。従つて本件が被上告人の勝訴に確定すれば、所論の如く遺言は執行すべき内容を有せず、遺言執行者はその要なきに帰するけれども、若し敗訴すれば、本件不動産はすべて遺言によりエイに帰属したものとして執行せられることとなるのである。かかる場合においては、被上告人等は遺言執行者たる上告人に対し本件不動産について共有持分権の確認を求める利益があり、その効果は牧野エイに及ぶものといわなければならない。所論はこれを採用することができない。

同第四点について。

原判決には所論の如き違法のないことは、上記説明に照らし自ら明らかである。

よつて、民訴四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 垂水克己 裁判官 島保 裁判官 小林俊三)

○昭和二九年(オ)第八七五号

上告人 佐藤達夫

被上告人 牧野道助

外四名

上告代理人和田正平の上告理由

第一点 原判決は「旧民法の家督相続制度の下においては戸主たる地位と戸主の財産の承継とは渾然一体の関係に在つたものであるから遺言による家督相続人の指定は戸主権と戸主の財産の包括的な承継を定めた単一不可分の意思表示とみるべきで戸主権に関する遺言と遺産の処分に関する遺言との二者を結合したものと解すべきでない」と判定して上告人の主張を排斥したが違法の判決と云わねばならぬ。何となれば

一、身分上の処理と財産上の処理とは本質上全然別個のもので決して同一ではない。産なくして家ある場合もあれば産あるも相続せしむる産を制限し又相続人に於ても限定相続の如く全然産を相続し得ない場合でも家督相続はせなければならぬ事もあるので右両者の処分に関する遺言を単一不可分と断じて事案を決するのは違法である。

二、意思の表示方には色々あつて各別に書分けて表示する場合もあれば両者を一個の意思表示で為す場合もある。後の場合は仮令表示方法は一個でもその内容では二個の意思を包含して表示されて居るものであるから解釈するときは二個の意思の表示があるものとして取扱わねばならん。

三、本件の場合は身分上及財産上の処理を一個の意思表示の方法を以てしたものに過んので実体は二個の内容を包含して居るものである。

(1) 本件の遺言者は家の相続、祖先の祭祀、妻及兄弟の将来等を考慮し所謂身分上の処理と財産上の処理につき遺言書を作成せんが為め公証役場に出向いたのである。

(2) 家督は妻に、財産は目録記載の不動産の一部即五分の一を兄弟等に、五分の四と其余の相続財産全部とを妻に各遺贈する意思を表示して公正証書による遺言書の作成を依頼したのである。

(3) 公証人がその旨別々に書いて置けば問題はなかつたのだが生憎当時の法律は家督相続人は相続財産の全部を包括承継するので公証人は相続人以外の遺贈者の分だけ明示しおけばよいと考え所謂公証人の証書作成の技術上常に行う此の表示方法を採つたに外ならんのである。換言せば公証人が目録記載の不動産の五分の四及其他の相続財産を妻に遺贈するとか、第二条記載以外の相続財産を妻に遺贈するとか記載すれば問題はなかつたのであるのに之をせなかつたのが残念である。然し当時としてはまさか法律が改廃せらるるとは夢にも思わなかつた事であるし又此の表示方法は文章作成者の簡明適切なる表示方法として常に採用して居た表示方法であつたから寧ろ当然の処置と云わねばならぬ。だから遺言書一条は身分上の処理と妻に対する財産上の処理とを合せ包含するものと解すべきである。即ち第二条記載以外の相続財産は妻に遺贈する意思をも包含表示したものと解すべきである。これ第二条記載と対照上当然推知し得るものである。

(4) 元来、人はその死後における身分上及び財産上のことを考慮してしかるべき措置を講じようとする。それが人情の常であるから子孫や近親がその遺された意思を尊重しその実現をはかるべきことは徳義の要求するところである。そしてかような人情と徳義に基づいたものが遺言制度であるから遺言を解するものは遺言者の真意を探究賢慮してその真意に副うようすべきである。

第二点 原判決は「新民法の施行により家督相続制度は廃止されたのであるから猛雄のした前示家督相続人の指定は新民法の施行により当然その効力を失つたものというべく、従つて妻エイに対し家督相続に因り戸主権と共にその財産を承継させようとした猛雄の右意思表示は戸主権に関する部分だけでなく財産に関する部分も同時に全部無効に帰したものと解せざるを得ない。尤も遺言において戸主権とは別に特に遺産について表示するところがあつたとせば格別であるが」と判定せられたがこれ亦違法である。

一、身分上の処理と財産上の処理とが単独不可分のものでなく又遺言者の意思が妻に対し身分上の処理と財産上の処理とを遺言したものである事は第一点において論述した通りである。

二、第一回の妻に対する遺言が第二回の遺言のように遺言者により取消されたものとせば判定のように妻に対する遺贈も全部其効を失うたと見るは或は正当であろうが新法により家督相続の制度が廃止されたからとてどうして財産上の処分たる遺贈が失効するのであろうか。仮りに本件第一回の遺言書中に公共事業に対する遺贈祖先の菩提寺に対する遺贈又は恩師其他新法の相続人にあらざる人に対し遺贈しあつたとせばどうか、夫等も皆全部失効するであろうか。否な々々原判決も戸主権と別に特に遺産について表示するところがあれば格別だと判示してあるからそうではあるまい。さすれば本件の場合身分上の処理は家督相続制の廃止により失効するとしても財産上の処理たる妻への遺贈が失効する道理がない。何となれば遺言者は憐れなる妻の将来を憂慮し考慮その老後の安定を得せしむる為め此の遺贈をなしたのである。然して此の真意は死ぬまで変らず、否愛する妻へ永年の苦労を感謝し将来の幸福を祈り妻の将来の安定に安心して成仏したのである。だから遺言者としては法律の改廃如何に拘らず妻に対する遺贈に関しては絶対的であり最終的願であり安心でもあつたのである。さすれば新法が遺贈をも禁止したとせば格別、然らざる以上妻に対する遺贈を家督相続制度の廃止により当然失効すると判定した原判決の違法なるや勿論である。

三、原判決の如く一条により身分上及財産上の処理に関する遺言が失効するものとせば二条以下の記載は既に遺言者により取消されてあるから本件遺言書により遺言執行云々の問題は全然起きてこない筈である。何となれば同遺言書は執行すべき内容を何ら有せないものと化しておるからである。しかるに家庭裁判所は本遺言書になお執行すべき必要事項ありとして上告人をその遺言執行者に選任し尚原告も「被告は昭和二十六年二月十九日仙台家庭裁判所において猛雄の遺言執行者に選任されその遺産に関する争訴につき当事者たる適格を取得するにいたつた。よつてここに原告等の共有権確定の判決を求めるため本訴に及ぶと陳述し」(一審判決摘示事実)主張しておるのにみるも本件遺言書第一条が財産処分に関する処理、即ち遺贈に関する執行の為め選任されたことを認めその遺贈に関する遺言事項につき執行せしめる為め上告人を被告として本訴を提起したこと明らかである。さすればこの点に関して当事者間に何ら争いなきものと云わねばならぬ。

これ上告人が本件遺言執行者に選任せられた理由亦実にここにありと解し、又上告人もそれが正当なりと信じたので遺言執行者として選任された責任を完遂し又その責任を明らかにする必要上本上告を敢えてし明断を得んとするものである。

第三点 若しそれ原判決の如く本遺言書を解釈するとすれば原審が上告人をその遺言執行者と確定し他面目録記載の不動産につき共有権を確定する権限あるものとして本訴判決を敢えてしたのは矛盾極まる違法の判決である。

一、遺言の執行とは遺言が効力を生じた後その内容を実現するに必要な事務を行うことであるからその実現するに必要な内容がなければならぬ。然るに第一条の記載内容は新法により当然失効したとせば二条以下の記載は遺言者によりすでに取消されて消滅しておるから本件遺言書には何ら実現すべき内容は存せないこととなる。さすれば上告人は遺言執行者として執行すべき何物をも有せないことになるから原告から被告として訴追せらるべき理由も適格もないと云わねばならぬ。

二、又本件の遺言書第一条が遺産の処分を包含せないものとせば本訴は単に相続人に対し相続財産の分配を求むるものにすぎんこととなるからそれでは遺言の執行を求むるものではない。従つて遺言執行者の権限外に属し本件遺言執行者の職務権限を逸脱するものである。故に原判決は当然本訴請求を排斥すべきであるのにこれをなさず又何らその理由をも判定していない。

三、一審判決摘示事実をみるに「昭和二十五年十一月二日猛雄は死亡し民法第九百条第三号第八八九条第二項、第八八八条第一項によりその妻エイ(相続分三分の二)及その弟妹原告道助、ひで、猛五郎、強七郎、富、訴外牧野満り子(相続分各十八分の一)はその遺産を共同相続した。そして別紙目録記載の不動産が右遺産の一部に属し、従つて原告等は右物件につき何れも持分十八分の一ずつの共有権を有する」と記載してあるのにみれば原告等は新法により相続権あることを主張しその相続分の確定を求むるものに外ならぬので本件遺言書にもとずき遺言の執行を求むるものではないことが明らかである。さすれば原告等の本訴請求は本件遺言執行者に対しては的はずれの請求であると言わねばならぬ。けだし上告人は遺言書の遺言事項を執行するのがその権限であつてその以外においては何等権限を有せないものと言うべきである。だから上告人は本訴の被告としての適格者では無く亦原告等の相続分を確定する権限も無いものと云わなければならないからである。

第四点 要するに原判決は敍上の如く実験法則に違反して重大なる事実の誤認を敢えてし居るのは勿論、民法第九六四条、第一〇一二条、民事訴訟法第四五条、第五三条、第五九条、第六二条、第三九四条、第三九五条の四及び六に違反し、然かも判決に影響を及ぼすこと明らかなるものであるから当然破毀すべきものと言うべきである。

以上

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